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2008年11月30日 (日)

田母神元空幕長の論文よんで感じたこと

「あの戦争は何だったのか(大人のための歴史教科書)」 保阪正康著 新潮新書
「あの戦争になぜ負けたのか」 (共著)半藤 一利, 中西 輝政, 福田 和也, 保阪 正康, 戸高一成, 加藤 陽子 (文春新書) (新書)

読んで愕然とくる本です。

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田母神空幕長の論文(URL参照ください。http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)で、この戦争について「日本は侵略国家ではない」という論を展開されていますが、その論文を読んで感じた憤りとまったく同じことを、私は靖国神社内にある「遊就館」訪問時に感じました。戦死した方々への御悔みと弔いが欠如しているのです。「遊就館」では、硫黄島の敗戦以降の沖縄戦、長崎、広島の原爆のことはほとんど触れられていません。何百万の方々が何故死ななければならなかったのかという問いに答えるようなものは見受けられませんでした。“大東亜”戦争勃発の原因が日本ではないという正当化しか「遊就館」では見て取れなかったからです。

あの、太平洋戦争って、こんないい加減に始められて、さらにいい加減に継続されて何百万人の人が亡くなって、終わった。日本は戦争をせざる負えなかったとか、東京裁判がいかに不当だったとか等の絶え間ない論争が今でもあるのにもかかわらず、実際の戦争開戦、ミッドウエー後の日本の前線後退、本土空襲の始まり。広島、長崎の原爆とソ連参戦。どの時期をとっても、常に、なんら戦略なき戦いであったことを読んで、開いた口が塞がりません。ただ、ただ、呆れるばかりです。

真珠湾攻撃を始めとして、作戦は存在したが、戦略はなかったと保阪氏は書いています。
いい加減な戦略でこの戦争を始めた戦争の指導者たちに対し、自衛のための戦争だと教育されて死に物狂いで前線の兵士は戦い、そのスローガンの中で、亡くなった沖縄、広島、長崎、その他の民間の方々。

以下、上記二つの著書からいくつか書きます。

① アッツ島における戦いで「玉砕」という表現が初めててできたようですが、まったく予想だにぜず米軍に攻められ、そのとき大本営では支援を送り込む船も全て出はらっていて救援ができずに負けてしまった戦いを「玉砕」と称しているだけ。

② ガダルカナルの悲劇。暗号解読済の米軍は日本軍がこの島に基地を完成しかかったとき総攻撃。攻撃を予期していない大本営は中途半端な支援を行い次々と自軍を全滅させ、結局5万人近い戦死者をだした。伸びきった日本の戦線の重要な点だけ攻撃していくという米軍のオセロの駒をひとつひっくり返せばよいという戦略に対し、どこの拠点を守るべきかという視点が欠如した日本軍。しかも補給の考え方が皆無。そして、大本営の嘘の発表がこのとき始まった。

③ 無能な指揮官が生み出した悲劇、「インパール作戦」。ビルマ南に進駐していた牟田口司令官が実行した、あまりに悲惨な作戦。兵士が何十キロの食糧等を自分で背負い100キロメール先の英軍基地をたたきに行軍。補給が全く考えられていない。単なる100キロメートルではない。何千メートル級の山々、何百メートルの川が途中にある。攻撃開始の初期には多少の成果はあったものの、食糧がないため徐々に退却。英軍は日本兵を空から攻撃。結局、5万人、7万人といわれた日本軍は全て退却。当時雨季だったインドのためマラリアが日本兵を苦しめ、結局その殆どが戦死。この間、牟田口司令官は戦場から400キロ以上離れたビルマの避暑地で命令を下していた。敗戦の責任は現地の師団長の戦い方が悪いと主張し、本人は結局日本に帰国している。東条英機と親しかったこの司令官は、ただ勲章が欲しかったそうだ。盧溝橋事件の発端時の師団長であったこの男は、蒋介石支援ルートであるインドービルマー中国ラインを日本軍が制圧すべきと思ったそうだ。何万人の人々が亡くなる中で生き残った数少ない兵士たちへの保阪氏の戦後のインタビューで、「この牟田口指令官が畳の上で亡くなるなどと言うのは考えられない。」と声を震わせて語ったとのこと。

④ 19年10月のレイテ島での戦い。っこでも10万以上の日本兵戦死があった。この戦いの前に行われていた「台湾沖航空戦」で大本営は「米空母11隻撃沈、8隻を撃破。多数の戦艦、巡洋艦を撃沈、撃破」と発表。フィリピンの日本軍はこの発表をもとに全ての作戦を立てていたため、米軍の対応をまったく予測できずに惨憺たる敗戦。海軍はこのとき連合艦隊の殆どを失った(「武蔵」沈没)。

⑤ 特攻の大部分が志願によって行われていたという、まやかし。実際には命令。「俺もあとに続くから・・・。」と言って送り出し、「戦後復興に力を尽くすほうが大事だ。」と生き延びた指揮官たち。

⑥ 20年8月9日の最高戦争指導会議。沖縄陥落、広島の原爆、ソ連の参戦後の会議。ポツダム宣言受託すべか否かを討議。海軍、陸軍相の主張は、ポツダム宣言を受諾しない場合、日本はまだ、最後の一線を戦うがあるとの主張。東郷茂徳外相が「たとえ、一度の米軍の上陸軍を撃退できたとして、第二次上陸軍、第三の上陸軍を撃退できるのか?」と陸相に聞くと、「・・・・」 ポツダム宣言を無条件で受けるには、あまりの犠牲がですぎていたのではないでしょうか?

お国のために死に物狂いで戦った兵士たちと、戦略なき戦い継続した戦争指導者たち。この戦争指導者たちは、亡くなった兵士、民間の人々にどのようにお詫びし、どんな責任をとったのか私は知りません。そして 、この私の憤りは「遊就館」を見て感じたことといっしょです。

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この大東亜戦争の勃発の原因を正当化して、亡くなられた方々の魂は慰められるのでしょうか?広島平和祈念公園の原爆死没者慰霊碑に書かれている、

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という碑文。

主語を入れ替えて私たちはその意味を深く刻むべきなのではないでしょうか。(保阪氏は、この文章をお好きではないようですが・・・。)

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