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2016年4月 3日 (日)

沖縄の不都合な真実(新潮新書)

Photo_2ここ数日間、この「沖縄の不都合な真実」という本を懸命に読んでいます。この本は日経の元沖縄支局長を務た大久保 潤氏と経済評論家であり音楽評論家でもある篠原 章氏の共著である。以下、この本で挙げられている点と、私の疑問を書いてみました。

① 基地は終戦時の1945年に完成しました。一方、ニュースなどでよく取り上げられる普天間第二小学校は、その24年後の1969年に宜野湾市が危険を承知であの場所に建てたものです。

(私の疑問) 普天間の返還合意は96年。今、2016年で返還の見通し不明。なら、危険な場所に位置する小学校を何故他の場所へ移そうとしないのか?

② 2011年末に名護市に返される海兵隊基地キャンプハンセン内の山林162ヘクタール(東京ドーム35個分)を継続使用してほしいと、稲嶺進市長が首相や防衛相らに要請。

(私の疑問) 沖縄県政府の主張は、基地はなくなった方が沖縄の経済は発展するというものではなかったか? 

③ 辺野古で座り込みをしている人たちは地元の住民ではない。元公務員という人たちが多い。地元住民の7〜8割は辺野古移設に賛成。

(私の疑問) なら、反対している元公務員の人たちは誰のための反対運動なのか?

④ 自然破壊を理由に辺野古移設に反対しているとすると、沖縄空港の拡充を主張する沖縄県政府は、空港周辺の自然を破壊せずにどうやって空港の拡大を行うのか?

(私の疑問) 東京に住んでいる私にとってこの沖縄政府の一貫しない主張は何なのかと思ってしまう。

⑤ 沖縄の公務員の年間の平均給与は740万円。民間のそれは300万円強。東京に次ぐ待機児童の数。 失業率も全国1位。それでいて、沖縄県における1000万円以上の年収者の対人口比は福岡県より高い全国で10位。
(私の疑問) 高い沖縄振興予算を国からもらって潤う人たち(例えば、公務員と建設会社)と、その恩恵を被ることのできない一般の人々との所得格差が発生しているのではないでしょうか?

皆さんも、機会がありましたらこの本を手に取って読んでみてください。

2006年7月23日 (日)

宋 文州さんのコラム

宋文州さんのコラムはいつも興味深く拝見してます。共感し賛同する内容ばかりなのですが、6月22日の「女性がトイレにいても平気な男性の本質」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060619/104610/)
について、少し反論します。

  母親が愛情を込めた手料理を食べさせないと素直な子供が育たない。

この命題に合理的な根拠はないと批判されています。理由は、以下の通り。

  子供に手料理を食べさせることがなかなかできないような
  共働き夫婦の子供は、どの子もデキが悪くなってしまうのでしょうか。

まず、この命題を論理的に考えたとき、“母親の手料理で素直な子供が育つ”という必要条件を記述しているのであり、“素直な子供が育つには母親の手料理は欠かせないという”十分条件を述べているわけではないということを指摘したい。言い換えると、素直な子供を育てるのには母親の手料理で、子供は素直に育ちますよと、言っているのであって、素直な子供を育てる方法は、母親の手料理だけです、簡便は食事を出しているよう
では、決して素直な子供は育ちません、と言っているわけではないということです。

また、ご飯と味噌汁も一例として、欧米型のパン食や、フレーク等のものと比べて和食がよいと言っている例としてあげられているのに過ぎないと思われます。

また、宋さんはこんなこともおっしゃっています。

  「手作り料理が教育に良い」という科学的な根拠はどこにあるのでしょうか。

私は、手作り料理はまさに、教育に良いと思います。そこには、母親が代々受け継いできたその家庭の味があり、従って、先祖の人たちの心が流れていると思えるからです。その受け継がれ方はもちろん様々です。母から娘というパターン。姑から嫁というパターン
といったところでしょうか。これからは、日本でも主夫が増え、このパターンはもっと多様化していくかもしれません。でも、こういった手料理、言い換えると家庭の味は、その家庭のアイデンティティのようなものと言ってもいいような気さえします。

手作り料理によってその代々の味が家族に伝わる、子供はそれを体感し、母親を思う気持ちが生まれる。素直な子供が育つのではないのでしょうか?

私は、シンガポールに約3年住んでいました。シンガポール人の家庭では、朝、昼、晩と外食ですませる家庭が多いようです。外食の価格がきわめて安いこと、共働き夫婦が多いため、手料理を作る時間もなく、作っても残ってしまうようであれば、安い外食の方がいいという、合理的な考え方なのでしょう。でも、私は、日本人として、実は、ぞっとします。手料理があることによって、食において家族の絆があることがどんなにすばらしいかの実感がない家族は、私の価値観からすると、かなりかわいそうな気さえします。こういう
気持ちになる、ならないが文化的な違いからくることなのかどうかは、私にはわかりません。

手作り料理イコール代々の伝統という表現には、少し、誇大表現があることも事実です。手料理といっても、手をかけて作っているわけでもありませんという家庭も多いでしょう。でも、、忙しい中で、母親が作ってくれるものへの感謝の気持には大きいものがあると思います。また、作られるものの、栄養のバランスが悪ければ別の方法でそれをよいものにすれば、よいだけで、家庭で作られるものは栄養のバランスが悪い、だから、よくないというように聞こえる宋さんの意見には与しがたいものがあります。

女性の役割を定義付けすることにより、女性の社会進出をUnfairに阻害することはあってはならないでしょう。しかし、同時にいままで受け継がれてきたものを、科学的でない、合理的でないということで否定する必要もないのでは・・・。

多様化を受け入れる懐の深い社会作りが肝要なのではないでしょうか?

2006年3月27日 (月)

創価学会について

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創価学会に関する本読みました。

常々この集団は宗教集団ではなく政治集団だと思っていました。公明党の政治の考え方が清潔できれいな政治。それを全面的に支持するのがこの創価学会だからです。

まず、宗教団体が特定政党を支持することは、通常概念的には全く考えられません。なぜなら、政治とは“取引”の世界だからです。常に、Aという政策を実現するたびにBという政策は取下げてAという法案を通す努力をせざる負えません。その判断は時には選挙用の国民の人気取りための場合もあります。日本の場合、歴史的には一定の票になる組織票獲得のためにこの“取引”が行われてきた傾向が強いと思われます。

反面、宗教集団の価値観はそんな世俗的なところにあってはならないと普通は考えます。なぜなら、宗教とは人の生きる道を説くものだからです。目先の利害関係、損得関係で判断せず、人が生きるための道導となるべきであるからです。従って、どこの国のどんな宗教も、しばしば時の政府と対立し、時には迫害を受けてきた歴史があるわけです。

しかるに、創価学会たるや、いったい何なのでしょう。現会長の秋谷氏は、自民党の小選挙区の議員の応援をしてくれと自民党幹部からたのまれると、平気で比例区は公明の応援をしてくれと自民党と“取引”します。まったくあいた口が塞がりません。イラクへの
自衛隊への派兵で自民党に賛成する代りにどんな政策で自民党から支持を取り付け実現するつもりなのでしょう。

再度、言いますが、創価学会が政治集団ならこんな苦言をていしたりしません。まがりなりにも彼らは在家宗教集団だと称しているから申し上げているわけです。

この島田裕己氏の本を読んで、実はまたわからなくなりました。

たとえば、創価学会は徹底的に現世の利益を追求する助け合いの集まりみたいなものと島田氏はこの本で書いています。だとすると、そこに宗教的な意味があるのでしょうか?日蓮宗の本山とは絶縁した現在、在家のまま、日蓮の教義をどのようにしたいのでしょうか?その教義を実践している人は誰何でしょう?ただ、私が無知なだけでしょうか。

ガンジー/キング/池田展というのは、創価学会内部の人たちに意味はあるかもしれません。しかしながら、外部からすると陳腐でしかもただ、笑えるだけです。もしかしたら、池田大作という人はガンジーやキング牧師の非暴力運動に心酔しそれを広めようとしているの
かもしれません。あるいは、非暴力運動の精神を引き継ごうとしているのかも知れません。でも、決定的に異なることが、ガンジー/キングと池田氏の間にあります。それは、池田大作というひとは非暴力運動の実践者ではないということです。

島田氏によれば、現在学会の入会者は頭打ち。そして、学会員は学会員同士とのつきあいに限られる傾向が強いという。親が学会員だから、子も学会員となり、学会員と結婚することとなる。そういえば、私に知り合いにも何人かそういう人がいる。選挙というと公明党候補者の応援。やっぱり、創価学会って宗教団体ではなく、政治団体でしょう。宗教法人として税金を逃れるのための看板ではないのですか?

私は、カトリックの聖人と呼ばれる3人の方々を思い浮かべるとその偉大さに言葉がでなくなります。ハワイのモロカイ島で何人ものライ病患者を見取り、最後は自分もライ病でなくなったダミアン神父。ナチスのアウシュビッツで、ガス室にいきたくないと拒んだ人の換わりに自分を先に連れていってくれと申し出たコルベ神父。そして、インドでその一生を捧げたマザーテレサ。この方々の行いに、ただ、ただ、絶句するだけです。自分にはできません。そして、祈りの気持ちが自然と沸いてきます。

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